hidekkumaについて

めっちゃ頭悪かったけど、外資系メーカーの管理職になれた。高校時代

こんにちは。先週末は「めんたいぴりり」と言う映画をお台場に観にいったhidekkumaです。華丸さんの目ヂカラがスクリーンで見るとヤバかったです。福岡好き、明太子好きの方にはおすすめします。

では、今日は前回の続き。勉強できなかった私の高校時代からその後進路決定するまでの話。ちなみにもう20年前になります。

県立高校に推薦入学

中学校で全く勉強はできませんでしたが、なんとか人より少し足が速かったことをきっかけに推薦で県立高校に入学することができました。しかも、入学前の春休みから高校の練習に行ってました。それから3年間毎日十数キロ走ることになります。高校の部活動って全国の強豪校は異次元の練習量だと思いますが、実力が中途半端な選手には県大会出場レベルの練習でも結構キツイんですよ。長期休暇は1日40kmくらい走ってたような気がします。

3年間ずーーーっと走ってた記憶しかありません。余談ですが、同級生には全国中学駅伝を優勝した選手がいたり、のちに箱根駅伝強豪校に入学した選手もいます。今でもずっと仲良く年に何回か会います。

勉強は常に下位でも気にしなかった3年間

想像つくとは思いますが学生の本分である勉強は、常に下から数えた方が早かったです。しかも高校駅伝は3年生の秋まであり、受験勉強もまともにしませんでした。父には小学校、中学校では「勉強しろ!」なんて言われてましたがここまでくると、勉強ができないことに関しては何も言いませんでした。大学進学も考えてましたが、11月に部活動を引退してから考えても当然遅い。そして、志望大学に入れる頭もなく・・・。大学で走ることは考えておらず、この時に初めて勉強をしてこなかったことを後悔しました。。。今までは一芸あればなんとか自分の存在価値があるような気もしてましたが、結局勉強が出来ないことを後悔。一瞬その先が見えなくなりました。一応学校の定期テストではなんとか暗記で乗り越えたりもできましが、大きな模試での英語の偏差値は40くらいだったような気がします。文系・理系とも分けられないほど得意教科がないコンプレックス。自分が将来どんなふうになってしまうのかお先真っ暗。

高校卒業の進路は留学!?

結局どうしたかと言うと、小学校の時から夢を描いていた留学を決意しました。当時は昔からの夢とも言ってましたが、今考えれば、浪人もしたくないし、受験戦争からの逃げだったのかなと思います。ただ何かしらの進路は決めなければいけない意識もあったので、

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どうせならやりたいことをやる!後悔はしたくない。ダメならそのあと考える!

と決断。高校3年生の1月の時の話です。

まずは留学専門誌を買って、オーストラリアの語学学校を紹介してくれる地元の留学斡旋会社に電話をして説明会に行きました。1年間の語学学校の学費、生活費はどのくらいかかるかを確認してから両親にも伝えました。母親はやりたいことはやらせてくれる人でしたが、父親は反対していました。高卒の父は子供には日本で大学に行って、まっとうに就職して欲しかったみたいです。だた私は一度言い出したら聞かない子供だったので受け入れず、父にはしぶしぶ了承してもらいました。

お金に関すること以外の手続きはできる限り自分でやりました。肝心な英語については準備として勉強し始めたかというと、それは別の話・・・。高校卒業まで残り3か月。ずっと遊んでました。出発日の朝まで友達と遊んでました。夜遅くまでファミレスにいたり、自宅で友達と夜通し他愛もない話をしたり。一瞬金髪とかにもしてみました。完全に中・高で部活動一筋だった反動です。一応スーツケースには英語で自己紹介する参考書、高校時代全く使ってなかった新品同様の和英・英和辞書は入れました(笑)

まとめ

振り返ると、こんな状態でよく留学なんてしたと思います。今では、了承しれくれた親には感謝しかありません。こんな人間が語学留学してどうなったのか。本当に衝撃です。次回は「語学学校→現地で大学入学決意!?」の話をします。

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