hidekkumaについて

めっちゃ頭悪かったけど、外資系メーカーの管理職になれた。幼少期~中学時代

こんにちは。ブログを書き始めてもうすぐ2ヶ月。自分のことをもっと書いても支障はないというアクセス数に気づいたhidekkumaです(笑)。知り合いで読んでいる人はごくごく僅かなので、もっと自分を出すためにプロフィール記事を増やしていこうと思います!

タイトルの通り、私は学生時代勉強ができる方ではありませんでしたが、色々な経験を通して、30代半ばの今は外資系企業で管理職になり、そこそこの年収にもなりました。

幼少期~中学時代

幼少期の家庭環境

家庭環境を表現するぴったりな言葉は、
「サンタクロースを信じたことが無い家庭
それほど裕福ではなかったってことです(笑) 両親と5歳離れた兄1人の4人家族。兄とはサンタクロースを信じたことがない子供として育ったことについて今でも話します。
両親はずっと共働き。「鍵っ子」なんて言葉がありますが、団地の家に鍵をしたことがありませんでした。当時母にその理由を聞いたら、「家に盗まれるものが無いから。」と言われて納得してました(笑)

父は一般的なサラリーマン。ご馳走は父がパチンコで勝った時に行けるファミレスのサラダバイキング。団地の5階の窓から父の帰りを待ち、勝った時は家の窓に向かって父はガッツポーズしてました。今でもその姿を覚えてます。
母は老人ホームで介護職。今から30年前の話で、福祉、高齢化がささやかれる少し前のことです。介護福祉士という言葉も世間一般の言葉じゃなかったような気がします。

今のご時世では考えられないかも知れませんが、小学生の私だけが一晩家に1人なんてことはザラにありました。父が単身赴任、母は夜勤、兄は高校生で友人宅に泊まりで、夜は一人でテレビを見ながらご飯を食べて、一人で寝る。小学校5年生くらいの時にはすでに慣れてましたが、よくこの環境でグレなかったと思います。

最近の話を少しすると、父は今年三回忌。母は還暦を過ぎてますが、今でも介護職をしてます。家で暇するのが苦痛らしいです。おそらく介護現場について語らせると、そこら辺のコンサルよりも熟知したプロだと思います。今のご時世なのでスポットコンサルでもやればいいお小遣いになるんじゃないかとも思ったりもします。兄は地元で家庭を持ちサラリーマンです。

小学校時代

勉強はできる方ではありませんでした。まぁ、頭悪かったってことです。小学校2年生時に算数は挫折しましたし、通知表では6年間通して体育だけ良かった記憶しかありません。

興味のある事はプロレス。闘魂三銃士の全盛期。アントニオ猪木の試合は福岡ドームで生観戦したことがあります。あとは、小学校4年生の時にテレビ番組の英会話コーナーを見て、漠然と将来は英語を話したいと思うようになりました。その時に英語教室にも通わせてもらいましたが、中学入学直後にはやめたのであまり身にはつきませんでした。小学校卒業時の夢は「留学して英語ペラペラ」って書いた記憶があります。

中学時代

中学1年生の時、母が「中高生・オーストラリア10日間ファームステイ体験」という新聞記事を見つけて行くか聞かれ、「行きたい!」とひとつ返事。冬休みに初めての海外旅行に行きました。費用は30万円。家庭環境を考えると決して安い金額ではなかったです。
※これが人生のターニングポイントになります。

部活は中学1年生の時はソフトテニス。人数不足で廃部決定的だったので、2年から陸上部に入りました。球技は技術がいるので、走るだけならできるかなと安易な理由です。
中学2年生の時に家庭環境は少し良くなりました。父が平社員から係長に昇進し、団地から4LDKの賃貸マンションに引っ越し。夢に見た自分の部屋。部屋には当時大好きだった広末涼子のカレンダーを高校卒業するまで貼っていました。

3年生になる時にみんなが通う塾に入ろうと思いましたが、勉強出来なすぎて断られました(爆)。その時に近所にもう1つ新しく塾ができたので、そこは開校キャンペーンの人数集めだったのかなんとか入れました。ただ卒業するまで偏差値は全く上がりませんでした。

陸上部で中長距離をしていて、3年生の夏大会で運良く好タイムが出たので、それだけを武器に推薦で県立高校入学。その高校は中の中レベルでしたが、私の学力で偏差値10以上足りなかったので一般入試では絶対入れないとこでした。
※噂に聞くと、今では国公立に100人以上行く進学校になってるようです。

今日はここまで。次回は高校時代について書きます。

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